vendredi 3 juillet 2015

Une partie de campagne

Je recopie l'information suivante depuis le site internet du Seventh Art Theatre:


ピクニック デジタルリマスター版
Une Partie de Campagne 1936年/フランス/40分/モノクロ/クレストインターナショナル 配給



ジャン・ルノワール
ギィ・ド・モーパッサン「野あそび」
ジャック・ベッケル、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ルキーノ・ヴィスコンティ
シルヴィア・バタイユ、ジャーヌ・マルカン、アンドレ・ガブリエロほか
1,000円 【公開初日前日まで販売】
『ピクニック』公開記念上映『フレンチ・カンカン(復元長尺版)』こちら
光が踊っている
印象派の画家、父ルノワールから受け継がれた美の真髄。祝福を受けたかけがえのない一日。
戦後70年──数奇な運命をたどった奇跡の映画が、デジタルリマスター版で待望の日本公開
戦争の悲劇から奇跡的に生還した幸運な映画
1936 年に撮影された映画のプリントは完成を待つ前に大戦が勃発しドイツ軍によって破棄。ところがオリジナルネガはシネマテークフランセーズの創設者アンリ・ラ ングロワによって救出されていた。そしてプロデューサーのピエール・ブロンベルジェの執念により、当時アメリカへ亡命していたジャン・ルノワール監督の了 承を得て編集作業が進められついに完成、1946年にパリで公開となる。こうして戦争の惨禍を超える幸運と情熱を得た『ピクニック』。数奇な運命を経て、 この至福の映画のリマスター版が戦後70年を記念して日本でも公開となる。

映画史上最大級の作家ルノワールのもとに集まった若き巨人たち
トリュフォー、ゴダールをはじめヌーヴェル・ヴァーグの作家たちから映画の父として敬愛されたジャン・ルノワール。本作でも助監督には、アンリ・カルティ エ=ブレッソン(スチール写真も担当)やジャック・ベッケル、ルキーノ・ヴィスコンティらそうそうたる名前が並ぶ。ヒロインを演じたのは、当時ジョル ジュ・バタイユ夫人であったシルヴィア・バタイユ。撮影は印象派の画家たちが愛したパリ郊外で行われ、バタイユも飛び入りで参加するなど今では考えられな いような豪華な製作現場だった。

この美しい映画を見よ──山田宏一(映画評論家)
 もし美しい映画があるとしたら、何よりもまず、この映画だ。
川の流れ、水面のかがやき。木と草のにおいにみち、初夏の光がきらめく自然のなかで若い娘がぶらんこにのるシーンの官能的な美しさ。ジャン・ルノワール監 督の父である印象派の画家、オーギュスト・ルノワールの絵によく比較されるけれども、カラー映画ではない。
 自然と人間とキャメラが一体になったモノクロ映像の躍動感に魅了される。窓をあけたとたんに、ぶらんこの若い娘が画面からとびだしてきそうな美しい衝撃だ。
 草の上の昼食をたのしみ、舟遊びに興じる人々。草のにおいに感覚が刺激され、やさしさを求めて心がうずく。みんなが笑い、キャメラも笑う。ときとして、キャメラはあまりにはしゃぎすぎてピンボケの画面をつくってしまいそうになる。
 静かに川面をすべる小舟にのって娘はつぶやく「音を立てるのがこわいくらい。静けさを破るから」舟を漕ぐ男が「小鳥のさえずりが聞こえる」と言うと、「小鳥の声も静けさよ」と娘は答える。
 ジェルメーヌ・モンテロのハミングするジョゼフ・コスマ作曲の美しいメロディーが流れ、キャメラは娘の心のように微妙にゆらぎつつ、水面すれすれに、樹 木におおわれた岸辺の風景をなでて進む。岸に上がり、森のなかで鶯のさえずりを聞きながら、娘は男に体をあずける。娘の頬にひと粒の涙が光る。
 パニックをもたらす角笛のひと吹きとともに(嫉妬にかられた男がお道化ながら牧神の歌舞のしぐさをまねる)、一転して雨雲が空いっぱいにひろがり、大粒 の雨が川面に打ちつけて無数の波紋をつくり、はね返る。その雨脚を大きくゆれながらトラック・バックして、いつまでも、いつまでもふりかえりつづけるキャ メラは、もう二度と帰ってはこない幸福な夏の光に永遠の別れを告げてむせび泣いているかのようだ。そして、長い暗いフェイド・アウトとともに、「月曜日の ように悲しい日曜日がめぐり」、数年がすぎ去っていく。
 わずか40分足らずのあいだに、こうして、キャメラは、笑い、ゆらぎ、むせび泣きつつ、映画そのものの心のときめきを伝えてくる。
 ただもう、美しいと言う以外にその美しさを讃える言葉がないくらい美しい映画だ。



上映映画館
公開日
大阪
大阪
7月4日
兵庫
神戸
8月
京都
京都
7月4日

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